05/30/2011

ブラック・サンデー

公開:1977年
製作国:アメリカ
監督:ジョン・フランケンハイマー
原作:トマス・ハリス
脚本:アーネスト・レーマン
出演:ロバート・ショウ ブルース・ダーン
--
ブラック・サンデー
トマス・ハリスコンプリーーーート!

日本では「パレスチナ問題という微妙な問題を扱っていたため、日本では公開直前に中止」@ウィキだそうなのだがDVDは出せたみたいだ。

私はテロリズムというものにどんな風にも共感し得ない庶民なのだが、これを観ているうちにまったく取りつくしまもなく共感できないということもないことに気がついてしまった。

「肝」はそもそものテロリストグループ以上に、話を持ちかけたのはアメリカ人であったということ。

作戦は中止かという局面に当たって、彼の中に
「捕虜となった屈辱の6年間と帰国を果たした自分への家族から国からの仕打ちへの恨み」
を聞いて彼女がはっとし、まだ戦機はあると判断したのが強烈だった。

規模の大きなこと、戦争だとかテロだとか、大きくみていると歴史だの政治だの自分の関与できない次元で展開しているように感じてしまうが、ミクロ的にみていけば全部「人間/個人のやっていること」なんだよな。実に今更なようなことだが。

「人がやること」の強さは「思い」に裏付けられていて、「強い思い」だと人が動く。

思いのベクトルが善か悪かは結果から判断されることで、先にあるのは常に「強い思い」だ。
善とか悪とかを指向する前に。

満員のスタジアムになだれ込む巨大な飛行船の様は圧巻です。
ぎっちり手に汗を握った。


BLACK SUNDAY

|

運命の逆転

公開:1990年
製作国:アメリカ
監督:バーベット・シュローダー
原作:アラン・ダーショウィッツ
脚本:ニコラス・カザン
出演:ジェレミー・アイアンズ グレン・クローズ
--
運命の逆転
それを本当にやったのか、という真実はほんとうのところ本人しか知り得ない。
逆に言えば本人は知っている。
でも頭の中にあることをモノとして物的証拠として提示することはできないので、「外側」を探して証拠を求めるし、「内側」には自白を求める。
でも自白が嘘でない可能性はどこにもない。

映画ちうのは全体がとても大掛かりなつくりものであるので筋に「これが真相です」を示している映像も「つくりもの」であるわけだ。
だので証言者Aによる「コレが真相です」映像と、証言者Bによる「コレが真相です」を並列に同じ力量で提示することができる。「つくっている」から。
Aに基づく映像とBに基づく映像で覆して、結果お話の筋としてはBが真相でした、とまとめて結論づけて終わることができる。

その演出を裁判で再現できれば、無実を勝ち取ることもできる。

でも本当にやったのかやらなかったのかを知っているのは本人のみ。
逆に言うと「やったなら本人は厳然と知っている」はずなのだ。

そう考えると怖くないですか。
他者はどこまでも推測することしかできないが、あなた本人は知っているのだ。


REVERSAL OF FORTUNE

|

アウトレイジ

公開:2010年
製作国:日本
監督:北野武
脚本:北野武
出演:ビートたけし 椎名桔平 塚本高史 加瀬亮 三浦友和
--
アウトレイジ
ひさびさにストレートな任侠もので、ビートたけし本人もあっさり殺されてしまう筋がどこまでも素晴らしい。栄枯盛衰、諸行無常をばさっと感じる。
そして音楽がいつもの久石氏でなく、ちょっと不穏かな?と思ったら鈴木慶一さんではありませんの!
オープニングのタイトルがばしっとはまるカットにのっかる不穏なビート、
あれだけでもう自分としては頂点。

キャストを拾っていてびっくりしたのですが、加瀬亮とか塚本高史とか、名前は聞いたことがあるけど知らない若手の男性俳優がいっぱいでてたんだ。
テレビドラマ感が全くないちんぴらっぷりで全然気がつかなかった。

「いまどきこんなもん持ってきたって一銭にもなりゃしねえんだよ!」とつめた指先を返された、
「小指をつめてけじめ」という元来の風習に乗っかったものはひとりも残らない。

サヴァイヴするのは「新しいもの」、
指なんかつめない、
英語が喋れる、
けじめよりも頭脳プレーの下克上、

憂いても万物は流転する世界、
任侠の世界も例外でないようだ。

いままで特に何とも思っていなかった椎名桔平がかっこ良く見えて困った。
足が長過ぎるだろ。
嫌な役なんだけどなあ、現金と銃をちらっと確認したそばからシャツの袖ボタンを外しにかかるあたりが大変色っぽくて困る。
「けじめ」重視の古い体質派なのでこれもやはりあっさりと殺されてしまったが。

|

告白

公開:2010年
製作国:日本
監督:中島哲也
原作:湊かなえ
脚本:中島哲也
出演:松たか子 木村佳乃 岡田将生 西井幸人 藤原薫 橋本愛
--
告白
先のBOY Aはあくまでも真摯な眼差しに貫かれた「ドラマ」だがこちらの「告白」は少年犯罪という共通のモチーフをもちつつエンターテイメントだな。


興味があるがなかなか知ることができない事象に「学級崩壊」がある。
こどもがいないし、まだ周囲のこどもも中学生には遠い年齢なのでよく言われるところの学級崩壊がどの程度現実なのかわからない。
電車で見かける制服の生徒諸君が自分の時代とすごく違っているようには見えない。
携帯電話を持っていること以外は。

上手く撮れたのでたくさん使いたい気持ちはわかるのだが、クライマックスの爆発逆回転シーンはもっとしゅっと、一瞬に集約したほうが緩急ついてよかったろうにな。
いささか冗長でありました。

母が気にかけていなかったわけではないことは、一瞬の映像のほうが鮮明に残るんじゃないかしら。

|

BOY A

公開:2007年
製作国:イギリス
監督:ジョン・クローリー
脚本:マーク・オロウ
出演:アンドリュー・ガーフィールド ピーター・ミュラン ケイティ・ライオンズ
--
BOY A
そういう偶然は割にあるんだろうと今では思うようになったが、このBOY Aと後の「告白」は抱き合わせで借りて、どちらも少年犯罪を扱いながら真逆のベクトルをゆく不思議な対称を成していていた。
BOY Aは「犯行後の少年、更生施設を出て社会復帰する」時間、「告白」は「犯行に至るまで」の時間を描いたもの。

自分でも呆れることに、「BOY A」を観て「こんなことあってはいけない。間違ってる」と思い、
その後「告白」を観て「くそ生意気なお餓鬼様、思い知れ」と思った。
自分なんてないも同然、その「ないも同然」が「直接的にはなんの責任も負わない世間の目」だ。
自分だってそういう「無責任な傍観者」となんら同じではないの。
違うと思っていた今までが驕りだったのだろう。


「更生の可能性の有無」に隠れて見えにくいが、本当の問題、それもとても身近な問題は、
保護官の息子を覆っていた「閉塞感」、トリガーを引いた彼にあった閉塞感ではないか。

離婚とこどもとの疎遠をわざわざ機能不全だというにはあまりにもありふれている。
それでも折り合いをつけてなんとかやっていっける年齢に達しているはずの彼は、
父親よりずっと若く可能性の塊のように見えて働かず、仕事を探している気配もなく、
先のことをどう考えているのかわからない。

彼の視線が世間の目を象徴しているとしたら、彼の抱えているあのどうしようもない閉塞感を抱えているのは「世間」になる。

そして冒頭に戻ります。
世間と自分とはなんと境界線の引きようのないものか。
つまり彼は私でありあなたであり、彼の閉塞感はそのまま私やあなたのものでありうる。

閉塞感の捌け口に、少年Aはうってつけだった。
少年Aを破滅させることが目的ではない、捌け口をさがしていたらかっこうの餌食がいたという具合。

どこか知っている閉塞感。
ネットで私刑する生け贄を求めている匿名のひとびと。


BOY A

|

05/21/2011

インセプション

公開:2010年
製作国:アメリカ
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン
出演:レオナルド・ディカプリオ 渡辺謙
--
インセプション
映画界はすっかりネタ切れであとは既にあるものの焼き直しばかりに、という停滞した予感をどかっ!打破、まだまだ面白いお話はできる!
だって人間の「考えること」には限りがないのだもの、限りがないのだなあ、という嬉しい驚きの一本。
よくももんな脚本を、はああ…と感じ入ってしまった。
このジャケットでは全然観たいと思えないんだが、なかなかあの話が伝わるジャケットデザインて難しい。
エッシャーのだまし絵のカットを使ったらどうかしらん。

ノーラン氏は意識して追いかけている監督さんではなかったので「メメント」「インソムニア」以降ノーチェックだったのですが、「メメント」ので登場したときの新進気鋭とも今後については未知数とも言われていたような初々しさはどこへやらアカデミーノミネートを果たした改心の一作。

この人はどうも「記憶と行動の不確かさ」に取り憑かれているのか、
「メメント」で記憶障害、
「インソムニア」では不眠、
今作ではさらに「夢」、作為的に夢が操作できてそれが(危険な)ビジネスになっていた。
しかし間の「バットマン ビギンズ」「プレステージ」「ダークナイト」は観てないのでちぇっく。

渡辺謙は「ラストサムライ」より前から、あるいはあれから英語を勉強されていたんだろうか?
もともとそれなりに得意だったのだろうか?
母国語でないだけでも大変だったろうに、一歩も腰が引けてない、物怖じせずディカプリオを対峙する姿は見事だった。

さてコレを観て以来、目が覚めると「さて、ここは何階層めかな?」とそっと思う。

ひどい世界であったなら、キックして、誰か!
水槽の中にですよ、たった今!


INCEPTION

|

05/01/2011

レッド・ドラゴン(トマス・ハリス四部作4)

公開:2002年
製作国:アメリカ
監督:ブレット・ラトナー
原作:トマス・ハリス
脚本:テッド・タリー
出演:アンソニー・ホプキンス エドワード・ノートン レイフ・ファインズ エミリー・ワトソン ハーヴェイ・カイテル
--
レッド・ドラゴン
ラストーーー!

すべてのはじまりであった「羊たちの沈黙」を別枠にすれば、
私が「トマス・ハリス四部作」で一番好きなのはこの「レッド・ドラゴン」です。

深夜テレビ枠で、借りてきて、今回改めてまた借りてみて、文句なく面白いです。
素晴らしいです。観ないでいる理由はありません。

レクター博士/グレアム捜査官の主線もさることながら、
サブコンテンツであるところのダラハイド/リーバのラインが主線を上回るほどに好き。
しかしこれすごいキャストだ、もう私の好きな俳優さんしか出てない、ハーヴェイ・カイテルまで!

レクター博士の時系列でいうと、
「フランスでの復讐を遂げた後〜司法の手を逃れて米国で精神科医をしていたが、グレアム捜査官によって希代の連続殺人犯捕まる、拘留後」の話。
グレアム捜査官がクロフォード(のちのクラリスの上司)に促されてしぶしぶ当時の連続殺人の解明のヒントを得に博士の独房を訪れる、という構図は「羊たち〜」と同様。

そのヒントが欲しい事件というのがレイフ・ファインズ演ずるダラハイドの事件で、
そんな事件の犯人だとはつゆとも知らずダラハイドに好意を寄せるのがエミリー・ワトソン演ずるリーバです。

このエミリー・ワトソンがすごい。
この人の演技は、みていて気持ち悪くなるぐらい、なんかもうそういうものが乗り移っているんじゃないかというぐらい「そのもの」で、
盲目の女性役ですが普通の女性らしく恋もするし性欲もあるのよ、というきっとどこにでもいる、けれど盲目ではあるという役所をずっぽりと演じきっています。
火事の現場からぶるぶる震えながら逃げ出すシーンなど、もうすごい。
グレアム捜査官に冗談を言われて、恐怖がぬけないながらくすっと笑うところなど、もうすごい。


ダラハイドは、原作だともっと緻密に、幼少期にひどい虐待を受けて育っています。
おばあちゃんだったか体罰がひどくて、
またダラハイドは唇に奇形があって特定の単語(破擦音を含むもの)がうまく発音できない。
それでさらに虐待がひどくなり、
本人は発音できない単語をなるべく使わないように生活しながら、
外見に強いコンプレックスを持っている。


彼女はいい人だから殺したくない、と「幻聴」に対して
" She is Good, ...she's nice ! " と叫ぶシーンをみるたびに
このカップルには幸せになってもらいたいのに、と強く思います。

だって失明する前にクーガーをみたが、今ではクーガーがどんな姿だったか…とぽろっとした話を覚えていてくれて、目が悪くなっても触る事でクーガーを確かめられるようなデートに連れ出してくれるひとなんですよ。
シャイで口数が少なく、唇の奇形を気にしているようだがすごくガタイがよくてセクシーなのよ、
唇の事なんか気にする事ないのに、と女子社員で噂されているダラハイド。
リーバが好意を持つのも当然ではありませんの。


その一方でエドワード・ノートン演ずるグレアムが事件の謎を極めて優秀に解明してゆくラインも十分に見応えがある。グレアムがレクター博士を逮捕した人物なので、このふたりの駆け引きは見物。
博士は例によってすぐわかるようなヒントは絶対に教えてくれないしね。

どの場面をとっても無駄のない、ラストまで息もつかせぬぴしっとしたサスペンス映画。
観ない理由はありません。

でも、というかだからこそか、
サブのラインとしてあるダラハイドとリーバの純粋な関係が哀しいし切ないしやりきれない。
…ん?もしかしたら私はラブ・ストーリーが好きなのか?

この事件の収束後、
クロフォードに送られてひとりこわばった顔でレクター博士に面会を申し出たのがクラリス、
というところで物語は終わります。


RED DRAGON

|

ハンニバル・ライジング(トマス・ハリス四部作3)

公開:2007年
製作国:アメリカ/イギリス/フランス
監督:ピーター・ウェーバー
原作:トマス・ハリス
脚本:トマス・ハリス
出演:ギャスパー・ウリエル コン・リー
--
ハンニバル・ライジング0
トマス・ハリスは恐ろしく寡作で、このレクター博士を扱った作+処女作の5作が著作のすべて。
すべて映画化されており、次作を待ちわびているファンも多かろうに(もちろん私も)まるでニュースがない。
しかしこの「〜ライジング」を読んだときの、あっけに取られた感は今でも鮮明に覚えている。

一体何をどうしてこんな幅広い知識を持っているんだ?
歴史から数学から音楽からそれはもう怒濤の知識の潮流、
そういうのが書けたからレクター博士が天才でありえた。

という博士の幼少の頃の神童ぶりはばさっと割愛されて、
事のはじまりである事件から映画はスタート。

なんと!そんなトマス・ハリスが脚本も担当しているではないの!
と思いきや、これは四作のうち一番できがよろしくない、と思う。
原作者が脚本を書いても原作を凌駕するというわけではないんだな。


はて、レクター博士は非常に上品で洗礼されていて博学で美食家で、
そしてカニバリズムを持っている。
とても上品に、ヒトを食べるわけです。

そのような習癖を持つに至ったわけがわかるのがこの作。
人を食べる、というカニバリズムをいつ、どのようにして覚えたのか?

ひとつわかるのは、紫婦人の邸宅で料理人に出されたオーブン焼きの魚。料理人から
「一番美味しいのは頬の部分です。どの魚も頬が一番美味しいんですよ」
と教わる博士。
頬。
のちに博士が武器を持たないまま至近距離にいる標的に噛み付き、噛みちぎるのは頬です。


この映画を観たときに書きなぐっていたメモ、こいつを元にこうして書いてるんですが、
この作品には強烈におぞましい記述が。
でもかなり核心に迫っているんじゃないかと思うので書かないわけにはいかない。

「ミーシャのシチューはおいしかったからこそ」

…と私のメモには書き捨ててあるのです。
正直そんなことを紙に書いていた自分さえ恐ろしい。

ミーシャというのは、博士が溺愛していた氏の妹。
まだ小さくて、かわいいんだ、ふわんとした女の子らしいお姫様っぽいかわいさでなく中性的なあどけない感じの女の子が配役されていた。

「匙まで舐めてたじゃねえか」

冬に閉じ込められて、強盗も博士兄妹も非常に飢えていた。
おいしかったからこそ、博士の回復不能な習癖として美食とカニバリズムが共存する、
博士は愛する妹を殺した一味に着々と復讐するが、同時に食べておいしいと感じた自分という強烈なアンビバレンツを内包している。


レディ・ムラサキは日本人の設定なので誰がやってんだろ、と思いきや
コン・リー!!
日本人じゃないけど私の大好きなコン・リーではありませんか!!
美しかった、とにかく笑顔のシーンがほぼない。
いつもはかなげな表情をしている。

原作では映画よりももう少し明確に、
甥であるレクターに対して体を差し出しても殺人(妹の復讐)を止めようとする紫婦人ですが、
レクターはミーシャ(の仇をとる復讐)をとる。

ミーシャ、紫夫人、そしてクラリス、
博士の愛した女性はこの3人。

なぜクラリスなのか?

ここからはやや強引な勝手な想像です。
クラリスは
「任務を完遂できたら、かつて助けられなかった子羊を助け、また田舎町の保安官のまま殉職した父に報いる事ができる」
というひたむきにして歪んだ暗闇を持った女性だからではないか。

なぜ「歪んでいる」というのかと言えば、
FBIでの仕事と子羊を助けることとは別ものだからです、いうまでもなく。
でもクラリスはそう感じている。
そういうのが自分にできることだと信じている。

博士が妹にみていた無垢さ、ひたむきさと、
紫夫人にあったひかえめな美しさとささやかに投げやりなところを、
そして自分自身にあるのと似た暗闇を、
クラリスにみたのではないか。


HANNIBAL RISING

|

ハンニバル(トマス・ハリス四部作2)

公開:2001年
製作国:カナダ/アメリカ
監督:リドリー・スコット
原作:トマス・ハリス
脚本:デヴィッド・マメット
出演:アンソニー・ホプキンス ジュリアン・ムーア ゲイリー・オールドマン
--
ハンニバル
前作で南米のように見える風景の中に消えていった博士、その続き。

こいつは公開当時、先に原作を読んでいて、ラストは変えてあるらしいという情報も知っていて観た。
で、当時の感想は悪くないけどやっぱり原作のほうがいいなあと。
原作を読んでいない友人はすごく楽しめたようだった。

んで今回再び観直してみたんですが、全然いいです。
前作と原作と、ずいぶんプレッシャーがあっただろうにそこはさすがのリドリー・スコット、
ちゃんと面白くしていた。

ただラストはね、ラストは原作がやっぱりいいです。
いいですが大人の事情的に、ラストを変えないとベストセラーな原作を読んだ読者を映画館に呼び込むことができなかっただろうから、ラストは変えざるを得なかったとしましょう。
んで改変されたラストが優れているのは、
ラブストーリーである本質はちゃんと原作を周到しているところです。

ラブストーリーなんだって、これ。

必要なので言ってしまうと、原作のほうのラストはクラリスとレクター博士はふたりで消えてしまいます。
FBIが屋敷にたどり着いた時はふたりは消えてしまっていた、何処かへ。
そして5、6年後にバーニーが、ブラジルかメキシコか南米のどこかのオペラハウスから正装した美しい男女、博士とクラリスによく似た男女が出てくるのを目撃する。
博士には変わらず多額の懸賞金がかけられています。
でもバーニーは「よく似た人を見た。よく似ていたな…」と心の中でつぶやくにとどめる、深追いはしない。
男女はオペラの夜に消えてゆく、そういうラストです。


劇中では博士の台詞になっている、
「ビューロに君は恋をしている。でもビューロは君の想いに答えてくれない、いつも片思いだ」
これは原作では、クラリスの上司であるクロフォードの台詞としてでてきます。
いずれにせよこの台詞はお話に入れる必要がある、重要な台詞です。

ビューロ(FBIの通称なんだろうな)は過酷な任務を課する、
もうプライベートを犠牲にしないとこなせないような任務を課する、
職員は対価以上に熱意だけを燃料に任務に当たる、
なのに仕事以外のすべてをなげうって働いてきた職員に、FBI という組織はあまりにも冷酷。

あれだけの功績をあげながら「出る杭は打たれる」杭になってしまったクラリスへ博士がいうわけです。
クラリスはもはや失うものが何もないのに、FBIに残るか?
あるいは、だからといって殺人犯と手を取り合って消えてしまうような女か?

かなり微妙なところですが、原作の博士と消えるラストも、
あくまでも博士を捕らえる姿勢を崩さない映画のほうのラストも、
どっちもありだな、と思える。

細かいことをいうなら、

・フィレンツェのシーンではイタリア語で会話することがほとんどない
・博士が手錠にあっさりひっかかって「逃してくれ」なんて言うか?

この2つが「アラ」といえばですが、
そういうのを気にして大筋の面白さを失いたくない。


原作から補完できるちょっとしたコネタも。
・バーニーは優しさではなく、食べるために鳩をひろった

…びっくりでしょう。たしかに優しいバーニーなんですが、
あの鳩は、弔うためではなく食べるために拾ったんですよ。
そこがバーニーのちょっとした卑しさを(博士の遺品をオークションにかけたりする)表しています。

・メイスンは少年の涙をのむ男
少年愛者であるところのメイスンは、屋敷に小さな男の子を何人か囲っていて、
ひどくサティスティックな言葉で傷つける。
その少年が泣くと、あのお付きの医師がすばやくスポイトで涙を吸い取って、
メイスンはそれを飲むのを至上の喜びとしている、そういう変態。
劇場で観た記憶では確かにそういうシーンがあったと思うのだが、DVDからは端折られていた。


・そもそも豚はレクターを食べなかった
これは映画で気がついたんですが、クラリスに救出されなくても、そもそも豚は放たれても博士の足下をうろうろするだけで噛み付きもしなかった。
クラリスに助けられたというわけではないのです。
だからラストの「逃がしてくれ」は「らしくないなあ」と。

でもあの「らしくない」乱闘シーンで博士の言う、

「地球を半周して君が走るのを見に来た」

という口説き文句にはちょっとくらっとめまいがします。
実際クラリスが強制的に休暇を与えられても早朝の走り込みをしているとき、
ふっと後ろに人影が映る。
クラリスが振り向くと、もう人影はない。

ラブストーリーなんですって。

前作へのオマージュか、こちらにも触れそうで触れない、
レクター博士がメリーゴーランドからクラリスの髪に手を伸ばしてほんのすこし揺らす、
というスローモーションのシーンが挿入されております。
前作とともにそういうシーンは原作にはないのですが、
「恋仲だと噂されるぞ」は原作通り。

「レクターはあのFBIの女を殺したいのか、食べたいのか、寝たいのか」
「たぶんその全部だろう」

さて私が思うのは、なぜクラリスが博士にとって特別な女性になったのか?です。


HANNIBAL

|

羊たちの沈黙(トマス・ハリス四部作1)

あまりにも気負いすぎていつまでも書きおわらないの&
4作まとめてエントリするには文字制限にひっかかるようなので
やむなく分割で4連投。でもあくまでも「トマス・ハリスくくり」。4つでひとつです。
原作も4作既読なのでそちらとの比較などもできたら。

レクター博士の時系列でいくと

「ハンニバル・ライジング(幼〜青年期)」
「レッド・ドラゴン(逮捕前)」
「羊たちの沈黙(逮捕後)」
「ハンニバル(逃走後)」

になりますが、
筆頭はもちろんこいつから!


羊たちの沈黙

公開:1990年
製作国:アメリカ
監督:ジョナサン・デミ
原作:トマス・ハリス
脚本:テッド・タリー
出演:ジョディ・フォスター アンソニー・ホプキンス スコット・グレン
--
羊たちの沈黙
ジョナサン・デミは、これのあとに「フィラデルフィア」でアカデミーをとって、
そのあととんと音沙汰をきかない。
でもそんなことはどうでもいい。どうでもいいのだ。
ジョナサン・デミは「羊たちの沈黙」一作だけでもう十分素晴らしい。
この映画がなかったら生まれなかった潮流が、どれほどあるか。

こいつについては、特典でついていた現地の特報トレーラーに流れる文字だけを拾って有り余る。
初めて観たトレーラーだったんだが、この文字がぶーんと現れるだけの特報が、
十分すぎるほどあの映画をよく表していると思う。


" DO NOT APPROACH THE GLASS
DO NOT PASS HIM ANYTHING
DO NOT ACCEPT ANYTHING FROM HIM
DO NOT TELL HIM ANYTHING PERSONAL
DO NOT LET HIM INSIDE YOUR HEAD
NEVER FORGET WHO HE IS "

「ガラス窓に近づいてはならない
何も彼に渡してはならない
何も彼から受け取ってはならない
いかなる個人的な話もしてはならない
彼をあなたの頭の中に入れるな
決して忘れるな、彼が誰であるかを」
(甘夏訳)

「彼」が誰なのかは、もちろん皆さんご存知。
そしてクラリスはこのルールのほとんどを破ってしまう。

公開当時劇場で観て、あの博士とクラリスの対話シーンの博士のアップ、
実にあの瞬間のクラリスの視界と世界を一発で映していて、
あんなんで五番目を死守することなんてとてもできない。

「子羊の話」を告白させる、というのがこの映画を一介のミステリ映画から一線を画す深い闇を含ませている。

レーティングのかかっている映画ばかりを観る傾向にある自分だが、
それらからエロティシズムを感じることはまずない。

私がもっとも好きなエロは、
例えばこの映画でレクター博士がクラリスに捜査資料を返すその瞬間に
牢獄の鉄格子越しにほんのすこし、クラリスの指をなぞる、
ああいうのだ。
観るたびに多義的に(エロだけでなくもっといろいろ)ぞくっとする。


THE SILENCE OF THE LAMBS

|

シェルター

公開:2009年
製作国:アメリカ
監督:モンス・モーリンド
脚本:マイケル・クーニー
出演:ジュリアン・ムーア ジョナサン・リス・マイヤーズ
--
シェルター
これは 笑
もうこれはイカンでしょ、ジュリアン・ムーア映画以上でも以下でも…ええい以下と言ってしまえ!
心理戦を期待して観出したら、なんかもう土着的な悪魔信仰というかなんというか
魔術師のばあさんの前を怖いやつが素通りしていった時点でもはや爆笑した。

そりゃねえよ!
スーパーナチュラルなものを決して認めない彼女が頼らざるを得ない祈祷師みたいなばあさんなのに
ばあさん何の手も貸さず 笑

ラストのオチに至っては… イエーーイ思った通りだね!!


SHELTER

|

72時間

公開:2008年
製作国:デンマーク
監督:カスパー・バーフォード
脚本:ステファン・ジャウォースキー
出演:ニコライ・リー・コス
--
72時間
「ミレニアム・シリーズ」に続け!ということなのか
北欧のサスペンスが(相対的に多く)輸入されてるようです。

これはサスペンス/ハードボイルドだったな、
静謐なトーンは渋くて空気の透明感と相まってキリキリとよかったのですが、
どうも筋が思い出せん、意外にふくらまかったねえ、という印象。


THE CANDIDATE
KANDIDATEN

|

運命のボタン

公開:2009年
製作国:アメリカ
監督:リチャード・ケリー
原作:リチャード・マシスン
脚本:リチャード・ケリー
出演:キャメロン・ディアス ジェームズ・マースデン フランク・ランジェラ
--
運命のボタン
イマイチ、いやイマニだっ、という3本いきます。

観たものをすぐにアップデートしないと忘れ去ってレンタル屋の棚の前で手に取り
「…はっ、観たな…」ということになるんですよ私、これがその例。

キャメロン・ディアス映画、の以上でも以下でもないかなあ。
もっと「人間の業」のようなものに踏み込んでいくのかと思い気や、
微妙なCGやらSF的要素やらもりだくさんといえばそうだが
散漫な印象。

私が覚えてるのは「wood」て可算名詞だっけ不可算名詞だっけ?
と考え込んだことという全くお話とは関係のないとこだけだ。

「…こんなの、ただの木の箱じゃないか!」という台詞が、

" Just a... Piece of Wood ! "
" Just... Pieces of Woods ! "

なのかあるいは " A Piece of Woods ! " であるのか聞き取れなくて
今辞書を引いて確かめてみたら慣用表現というものを含むともうイロイロであった。


THE BOX

|

04/09/2011

ミレニアム2 / ミレニアム3

リズベット!!

3部作完結です。
がっつり楽しみました、3部で完結するパターン好きだなあ。
3部にすることでより大柄な、スケール感のあるストーリーテリングを堪能できるなら
間のぢっと堪えて待つ期間も報われるというもの。
1作目はこちら(ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女)、映画で完結まで観てしまったにも関わらず、次は原作にあたろうと考えています。
だって細かいところまで知りたいのだもの!

***

ミレニアム2 火と戯れる女

公開:2009年
製作国:スウェーデン/デンマーク/ドイツ
監督:ダニエル・アルフレッドソン
原作:スティーグ・ラーソン
脚本:テッド・タリー
出演:ミカエル・ニクヴィスト ノオミ・ラパス
--
ミレニアム2 火と戯れる女
3部作で完結する映画に共通していると感じるのは、
真ん中の2番目が、物語的にはどうしてもやや停滞というか地味というか、1作目にあったものの引き継ぎと、クライマックスへ向けての序章に当たるポジションなためか、どうしても単体での物語のダイナミックさにはいささか欠けるなということ。

マトリックスもゴッド・ファーザーも2作目はやっぱりそういう感じがあって、でもこの真ん中がないとクライマックスへ盛り上がっていくことはできない、よって外して観るということはできない。

この2作目はほぼまるまる最終章へ向けての「前編」みたいなものなので、リズベットとミカエルの関係性は「1」にて押さえつつ、物語の「前編」と思ってみるべし。べしべし。

リズベットの過去への決着と国家組織の暗部に切り込むクライマックスへ向けてひたひたと登り詰めます。


FLICKAN SOM LEKTE MED ELDEN
THE GIRL WHO PLAYED WITH FIRE

***

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士

公開:2009年
製作国:スウェーデン/デンマーク/ドイツ
監督:ダニエル・アルフレッドソン
原作:スティーグ・ラーソン
脚本:ウルフ・リューベリ
出演:ミカエル・ニクヴィスト ノオミ・ラパス
--
ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士
リズベット正装!

スウェーデンの裁判所はどんな衣装で出廷してもいいのか?
というリアリズムは捨てて俄然盛り上がっちゃいましょう。

瀕死の重傷を負った後の裁判戦がリズベットの主な戦場なのでアクティブな彼女のシーンはほとんどない。
ないにも関わらずじゃきじゃきのパンクスタイルで裁判に臨むリズベットの正装はまさに臨戦態勢にあることを雄弁に語る。
しかし聡明だなあ。
聡明さというのはこんなにも価値があり、戦える武器となりうるのだ。

3部作を通して、リズベットとミカエルが同じ場所にいるのを観られるのはなんと1だけで、お互い常に頭におもっているにも関わらずこの3のラストのラストに至るまで、リズベットとミカエルは物理的に離れた別々な場所で同じものに向かって戦う。
(一緒にいる時はリズベットは瀕死の状態)

リスベットが常に誰かをあてにして生きていないこと、誰かが助けてくれるという発想がはなからないことが、彼女のばきばきの正装以上に彼女がかっこいい所以です。
そういうのが当然、というか誰かが助けてくれるという場合があることを知らないで生きてきたのが彼女。

どうしても、どうしても「ありがとう」を口にすることのできないリズベットは「もういいから、わかってるから」とそういうことを言うのが通常というシチュエーションに彼女を置いてしまったことをこちらが申し訳なく思うほど不器用。

ラスト、ミカエルの「きっとだよ」の間髪入れない返事の早さに爆笑してしまいました。
リズベットは、いつ突然消えていなくなってしまうかわからないようにみえる。
事件が収束しても、安住の地というものがこの世に存在していないようにみえる。


またね。


LUFTSLOTTET SOM SPRANGDES
THE GIRL WHO KICKED THE HORNET'S NEST

|

ソウ ザ・ファイナル 3D

公開:2010年
製作国:アメリカ
監督:ケヴィン・グルタート
脚本:ケヴィン・グルタート マーカス・ダンスタン
出演:トビン・ベル コスタス・マンディロア ベッツィ・ラッセル
--
ソウ ザ・ファイナル アンレイテッド・エディション
ファイナル!

イヤーー、エンドロールに切り替わった瞬間、ホヨヨヨという感じで笑ってしまった。
なんというかもうこのシリーズをとおしで見てしまった人のことは他人とは思えない。
同志よ!という感じで、親近感を持ってしまいます。
「おつかれっ・・・した!!」と拍手したい気持ちでわろてもうた。

これは「同志」と一緒にみて、
観た後には「完結しておめでとう会」を開いてあれやこれや話しながら祝杯をあげると楽しそう。
なぜって「結局アレの線はどうなったの?」「放置じゃね?」「捨てたか」「○○のとこだけ採った感じね」とかつっこんで話し合いたいところも満載なんだもの。

これ手に取って初めて知ったのですが、
3Dで公開されてたんだ笑

おおらすは幾多の残された伏線を総括することになるんだろうと思いきや、
毎回怖がらせて楽しませてくれたゲームの仕掛けの手を全く緩めず、
最後まで「ソリッド・シチュエーション・スリラー」のラインでやりぬいた。やりきった。
いろいろな伏線を張っておいたのは、
まあ次作をいかにせんと未確定事項が多かったから
いかようにも転がせるようにということなんだろう。

3Dで、となった時点でこれまで見せていたゲームの仕組みを3Dで体感して頂戴!
つことでファイナルまで仕掛けたっぷりでした。
3Dで観た方、どうでした?
ぶわっと刃が飛び出してきたりとかしたのかしら。

希代の悪役になるには規範が必要です。
悪いことをしていながら何故かファンがついてしまう悪役というのには必ず規範があって、
このソウシリーズのジグソウもやはりそうでした。
ジグソウのやったことはそれはひどいことなんだが、ゲームの対象者の選択にジグソウなりのルールがあり、またゲームにもルールがある。
ハンニバル・レクターもそうですが、恐ろしく残酷でありながら明晰であり、嘘みたいな話だが紳士なのだ。ジェントル。
例えば子供は殺さない、レイプはなし。
むしろそのような卑怯で下品な行為を嫌悪していて彼らの残虐さはその卑怯者をターゲットとします。


かっこいい悪役、はかっこいい善い役、よりかっこよく思えてしまうのは私だけではないはず。
というわけでジグソウ役のトビン・ベルは、また別の映画で別の役柄を観てみたい。
あのガラス玉のような透きとおったグリーンの瞳を、別なキャラクターを観てみたいです。

しかしこれだけゲームの仕掛けがあったということは、ぼつ案になったゲーム案は2倍、3倍はあるんだろうなあ。
おつかれっした!!


SAW 3D

|

04/01/2011

キャリー

公開:1976年
製作国:アメリカ
監督:ブライアン・デ・パルマ
原作:スティーヴン・キング
脚本:ローレンス・D・コーエン
出演:シシー・スペイセク パイパー・ローリー ジョン・トラヴォルタ
--
キャリー
ホラー祭り終わる気配なしっ!

これはやっぱり小学生の頃観て、とくに面白くなかった、怖くもないし。
改めて観たら、ホラー映画として怖がらせるというエンタテイメントではなく、
とてもオーソドックスな悲劇の構図を下敷きにしたホラーであるってところが出色なのだ。

悲劇というのは勧善懲悪と違って、
善いものが、よかれと思ってやったことが善くない結果を招いてしまうから悲劇と呼ばれる。
かつて善き魂の宿ってしまったものが悪しきものに乗っ取られてしまった結果の行い、とか。

こいつではいじめグループのひとりだったスーが、
狂信的な母親を持つキャリーの置かれてる環境を偶然知ったことで、改心したのか
キャリーを慮って自分のボーイフレンド(校内一のモテ男)をプラムに貸し出す(?)ことでキャリーによい思い出を、ちょっとした罪滅ぼしをしようとしたことが悲劇を招く。

小学生の頃は改心したスーがキャリーに思い出をあげるというラインと
相変わらずいじめグループのリーダー格であるクリスが企んでいる罠のラインと、
オープニングでみるいじめグループが集団が二分したとわからなくて、結果わけわからんことに。

最後はスー以外のみんな、キャリーを含むすべてが死んでしまうという、
冷静にみるととても古典的な悲劇。

ホラーでありながら悲劇でもあるのだ、
そしてシシー・スペイセクのほっそりした体に血塗れてシルクのドレスがべったり張り付く。
背後に轟々と燃え盛る業火。
みとくべきポイントはこのふたつ。たぶん。


CARRIE

|

03/31/2011

17歳のカルテ

公開:1999年
製作国:アメリカ
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:ジェームズ・マンゴールド
出演:ウィノナ・ライダー アンジェリーナ・ジョリー クレア・デュヴァル ウーピー・ゴールドバーグ
--
17歳のカルテ
映画ニュースの常連アンジェリーナ・ジョリー、
映画が好きでなくても名前は知っていそうな人アンジェリーナ・ジョリー、

「チェンジリング」がすごいいい演技で美しくて有名な女優さんなのにふと自分はこの人の映画をほとんど観たことないと気がついた。

でひさーーーしぶりに観ました、
アンジーといえばこの映画のリサのイメージが強烈。
いやースタイルめっちゃいいんだ、足長いんだ。リサかっこいいなあ。

「ショーシャンクの空に」とかもそうですが、
時間が経っても古びない、決して大柄ではなく佳作というポジションで何年も見続けられる良作っていくつかありますが、こいつもその一本では。

自分が醜い、と気がついてしまった(思い出してしまった)彼女の部屋の外で
ウィノナとアンジーがチューニングの狂ったギターで歌う「恋のダウンタウン」、
じいんとくるシーンです。

昔観た時は、ラストがどうしてどうなったのか
仲違いなのか仲直りなのか分からないでぼやんとした印象しか残っていなかったのだけれど、すごいな、あの台詞。
がつんと殴られたような衝撃がありました。


「あたしは背中を押してやっただけだよ、ずっと誰かに背中を押されるのを待ってただけさ。だけどわかんないのは、どうして誰も『あたしの』背中を押さないのかってことだよ!」


リサの頭の良さ、孤独、病理の深さを覗いてぞっとする台詞。
うん、リサの病理は「病的に頭がいい、人の気持ちがわかり、操ることができる」こと。
でもそれは病気なのか、あくまでも性格の「極端な偏向」でしかないのではないか?


タイトルについてけっこう考えます。
GIRL は普通 "A Girl" か "Girls" であるはず。
それが冠詞の無い単数系の "GIRL" と表記されている、
ということは「少女という抽象名詞」の扱いなのかしら。
「少女に象徴されるようなようにあやういもの、もろいもの」という抽象概念のことではないかと勝手に考えています。

原題を訳すのは難題だ、
彼女たち、少女のようにあやういものの、つまづき。


GIRL, INTERRUPTED

|

キャピタリズム マネーは踊る

公開:2009年
製作国:アメリカ
監督:マイケル・ムーア
脚本:マイケル・ムーア
出演:マイケル・ムーア
--
キャピタリズム~マネーは踊る
全然ファンじゃないんだ、ムーアのおっさんのファンではないんだ、
アポなし取材はもうどうでもいいんだ。

でもこのひとのドキュメントは毎回知ることが多く、
新しい視点を得ることも多い。

私は経済にはとりわけ暗いので、(明るい分野をカウントしたほうが早いな)
サブプライムローン→リーマン・ブラザーズ破綻→金融危機という一連の恐慌についての検証/問題提起/今後の展望としての一案、を理解できるようになっていました。

「不景気不景気ってあれから言うけどなんだったの?」と思っている方、おすすめ。
なんと、意図的にわからないように複雑化してしまうことで、容易く騙されているのかもしれないのですよ私たち庶民( working class parson )は。

もしかしたら、今現在けっこう経済的に余裕の無い状態で暮らしていても
「努力すればいつか金持ちになれる、チャンスがくると信じて」
堪えて暮らしてはいませんか?

それが資本家たちが労働者を黙って不当に低い待遇でこき使うのに都合の良い目くらましの魔法みたいなものだと知らずに。

「すべてまやかしよ、騙されてるのよ!」という一義的なモノの在り方などありません。
モノゴトはたいがいはなかなか複合的なコンプレックスなありようをしていて、その多義性の中にはそのような「目くらましの魔法」が含有されているかもしれないのです。

私にはとかくやっかいなので、メモをけっこうとりました。その一例が

デリバティヴ:金融派生商品
複雑な賭けのしくみ
不正を問われぬように複雑な仕組みになっている

だそうな。わざとわからないようにしている金融商品なのです。
ウォール街の一部の人間が儲かるような仕組みになっているけど、ややこしくてそのしくみのおかしさをなかなか打開できない。
年収一億とかの人間のやっていることです。


キャピタリズム(Capitalism)とは資本主義。
共産主義世界崩壊後、勝ち組独走態勢と思われた資本主義米国がこんなになっちゃって、そこにべったりくっついている日本であります。
さあてどうしますか。


企業ベースでは、企業というのは資本主義の権化のようでありながら民主的社会主義とか社会的民主主義とか新たなフェーズへの変革を試みて上手くいっている企業などが伺えます。
もはや世界は2元化して考えられないような、コンプレックスなありように変貌しつつあるみたい。
今回の恐慌で利潤を追求するしまくる資本主義には限界、というか一部の人間しか幸せにしない仕組みの欠点が明るみになってしまった。


じゃあそういう「民主的社会主義」みたいな方向で、という結論なのかと思い気や、ムーアのおっさんは意外にも今後の展望に際して宗教心に立ち返るんである。


聖書は古いものだから「資本主義はいけないのです」とは書いてないので気がつかなかったが、キリスト教では基本的に資本主義を善しとしないのだ。
代わりに「貧しいものは幸いである」と書いてある。
生活に必要なだけの収入以上の富に執着する執着心は罪悪なのである。
考えてみたら「がっぽがっぽお金を儲けましょう」と説いている伝統宗教ってちょっと思いつかない。
まず清貧を尊ぶ。


努力すればお金持ちになる、という考え方は、お金持ちでないのは努力していないからだ、という非難の仕方に容易に転じる。


そこでイズムでどうのこうのという方向を照らすのではなく、そもそもの道徳心、
「食べるものも雨風をしのげる住居も通勤に必要な車も既に持って、あなたのそばには食べるものも雨風をしのげる住居もましてや車など持たない人がいる現実があって、さてまだそんなにお金必要ですか?」
という根源的なモラルに問いかけるムーアのおっさんの視点は当たり前のようにすんなりして見えて宗教観を持たずにいる私にはものすごくはっとさせられた。


それで「ラブ・ストーリー」に合点がいったのでありました。
隣人を愛すのLOVE、だったのね。


CAPITALISM:A LOVE STORY

|

ダウト 〜あるカトリック学校で〜

公開:2008年
製作国:アメリカ
監督:ジョン・パトリック・シャンリー
原作戯曲:ジョン・パトリック・シャンリー
脚本:ジョン・パトリック・シャンリー
出演:メリル・ストリープ フィリップ・シーモア・ホフマン エイミー・アダムス
--
ダウト ~あるカトリック学校で~
これ「サスペンス」の棚にあったんですけど、
「ドラマ」だと思う。人間ドラマですよ。

海外の女優さんの「目指している女優」によく掲げられてる印象のメリル・ストリープ、
私の場合ちょっとタイミングがずれてしまっているのか
数えるほどしかメリル・ストリープ出演作ってみたことないので
「ベテランだしなあ、ふうん」ぐらいに思ってきました。

しかし!
この映画で思い知りました。
すごい女優さんだ…

ものすごい難しい役どころです、
ただひたすらに融通の利かない頑固ばあさん、みたいな役柄だったら、
この人じゃなくてもできる役者さんはたくさんいるんだろうし、

そして「VS.」の構図がかっちり固まったまま交差することも無く、
結果このようなずんと次元がかわってしまったような深みのある作品になることもなかったろう。

もちろんVS.フィリップ・シーモア・ホフマンの構図はかなりアツいし、
のめり込む攻防があります。
それが一元的な「ダウト:疑い」のおはなし。

でもラストの彼女の告白で、「ダウト:疑い」の意味合いが一気に多元的に深まる、
あの様には圧倒されました。言葉が出なかった。

誰にも彼女の疑問に正解をだすことができない。
彼女は修道女なので神に問うたでしょう、何度も。

回答は、沈黙。
沈黙。

沈黙…


DOUBT

|

チェンジリング

公開:2008年
製作国:アメリカ
監督:クリント・イーストウッド
脚本:J・マイケル・ストラジンスキー
出演:アンジェリーナ・ジョリー ジョン・マルコヴィッチ ジェフリー・ドノヴァン
--
チェンジリング

このあたりからやっとホラー感が抜けてきます。

でもこれは強烈に怖い。
やりきれない。

イーストウッド作品と知ってびっくりしました、
あんまり好みに合わないほうなんだろうと思っていたのですが、
これは今までみたイーストウッド作品の中で個人的にベストです。

この人の映画にある静謐なトーンが、
意味深長にみえて実はとくに意味なんか無い、
みたいなところがどうも合わないと感じていたのですが
このストーリーにそのトーンはすごくじわじわ沁みて
声高でない分効いてくる。

警察組織の恐ろしさ、
「ひと(少年ばかり)さらい」の手管の恐ろしさ、
Based on True Story. の恐ろしさ。

「明らかに自分の子じゃないのに受け入れるってのがおかしいでしょ」
と筋だけみてると思うんですが、実際で映像でみてみると、
あのシーンのあの警官のまなざし、子供の不気味な演技、取り囲むメディアのカメラのフラッシュ、無言の圧力。
野次馬が消えた段階で落ち着けば話が通るのかと思い気や…


そして近年の映画のなかでも類いまれな名シーンと私が思う、
逃げてきた少年と現場刑事のシーン。
あの少年の演技と、現場刑事のカジュアルな態度から顔の血の気が失せていく対面シーンは息を殺して呼吸を止めてみていたような気がする。


現場刑事は熱血漢でもなければ組織にがっぷりのみこまれているのでもなければ一匹狼というのでもない、気の良さそうな一回の刑事さんなのですが、ただ仕事に誠実であった。
少年は自分が罪深いと知りながらも告白できる勇気があった。
それが無かったらクリスティン・コリンズの名誉が回復されることもこともなかっただろう。

後半の展開に出てくる「脇役たち」のシーンですが素晴らしいです。
観るべき、となるべく使わないよう心がけている「べき」をこれには使うことに躊躇なし。


「フォース・カインド」のラストと対照してみると面白い、というか興味深いというか、
希望が残る、というのは幸運で、
あきらめられない、というのは苦痛。

同じ結末なのにこんなに照らすものがこんなに対照的。


CHANGELING

|

«テキサス・チェーンソー / 悪魔の生けにえ